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山行報告


よみもの


2005年7月21日〜8月25日

ペルー報告

O村(記),M尾


今年は、初めから終わりまで付き合ってくれる相棒を得た。目標はサンタクルス。3年目の挑戦だ。

常宿にしているベタニアに着いても、M尾の荷物が届いていない。乗り継ぎのヒューストンで、大量に(たぶんカーゴ一つ分)別の飛行機に乗せてしまったらしく、リマの空港ではクレームに長い列ができていた。
やっと2日後に届いたと思ったら、そのスーツケースは鍵を壊されていた。私のバッグも鍵を壊されている。中身を調べた様子はなく、怪しいものが入っていそうだから鍵を壊してでも調べた、と言うのではなく、「鍵をかけるなと警告しておいただろう。だから壊す」という感じである。乱暴な発想にかなりむかつく。
なじみのポルテアドール、GracianoグラシアーノとValentinヴァレンティンを確保する。

目次

カシャン       (7/26〜7/31)
シャクシャ     (8/ 3〜8/ 7)
サンタクルス  (8/10〜8/16)
ペルーライフ  〜O村孝行氏との35日間〜(記・M尾)

カシャン
 (7/26〜7/31)
少し休んでから最初の山、Cashanカシャンに向かう。高度順化を兼ねる。何よりもここは釣りができるのだ。今年は湖用にルアーを買って、その練習もしてきた。

7/26
ゆっくり目に支度して、タクシーで向かう。昨年はPanacパナック谷を車で行き、ずいぶん手前から降りて登り始めたが、今年は奥まで進んだ。昨年3時間のところを1時間半でTuricohaトゥリコチャまで上がる。4000m。早速ルアーを試すと、次々とヒットする。ほとんど入れ食い状態。しかも40cmを超える大物ばかりだ。3匹だけにして、GとVは1匹ずつ、私とM尾で1匹食べる。ムニエルにレモン。



7/27
カシャンの西側は氷河の下が急なセラックとなってそこから岩壁となる。その下に湖が広がっているようには見えなかったが、Misaqcochaミサクコチャがあった。4260m。ここでも大物3匹。GとVも幸せそうだ。彼らは毎日ムニエルでもいいのだ。こちらは刺身も作った。

7/28
北側の岩は丸っこく、下から見るとそこを歩けそうには見えないが、ルートはそこにとる方がよいと判断して、前日にGたちが偵察しておく。実際に行ってみるとよく踏まれた道が縦横についていた。薬草が豊富なので、それを取りに来る人がいるらしい。
尾根まで上がってしまうと風を受けるので、少し下がったところにテントを張る。尾根から北側を覗くと、カシャンの北面はすばらしい氷壁となり、ルートとしては一気に山頂に至る直線が引けそうだった。強力なパーティーなら楽しめるだろう。

Gが指さす方にコンドルが見えた。見ていると次のが来た。パナックの谷の下からゆったりと羽ばたいてくる。次のは下の方を飛んできた。コンドルを上から見下ろすのは初めてだ。と言ってもそれまで2回しか見たことがなかったのだから、見ほれてしまう。いち時に6羽ものコンドルが見られたなど、滅多にない機会だろう。M尾はカメラを向けるが写ってはいないだろう。プロがそれなりの資材を構えて長い時間をかけて撮る対象だ。ど素人にいい写真が撮れてしまったら、プロの生きる余地がないではないか。

Vと氷河を上がって偵察する。昨年の最高到達地点を過ぎて、よい平面を見つける。GとVはガソリンコンロの火力に飽きたらず、少し降りて薪を拾ってきた。お湯も豊富に沸かせる。

7/29
氷河は50〜60度のスロープである。クレバスを避けて行く。慎重を期してM尾とはロープをつなげておく。前日に決めておいた場所は、岩の下で安全だと思ったが、つららが落ちる心配があり、移動することにする。100mほどでクレバスの隙間にいい場所を見つけ、二人に整地してもらってテントを張る。Gは気を利かせたつもりでガスコンロを炊いて、それを知らない私はマットやシュラフを放り込み、シュラフに穴を開けてしまう。

Vと偵察に出る。北側のこぶから、山頂に向けてなだらかに尾根が続いているかも知れない、と考えていたが、そのこぶから垂直に40mの岩壁となっていた。そこを懸垂で降りたら戻るときはそのロープを登らないと帰れない。

これまでの経験から、氷河上ではガソリンコンロがうまく燃えず、いつも「故障」してばかりだった。それはやはり「酸欠」っぽく、今回はガスコンロを使うことにしていた。正解だった。夜息苦しく、なかなか熟睡できない。M尾は薬も飲まないで平気で眠っていた。5160m。

7/30
山頂までは行けないことを承知で、M尾と出発。1時間でこぶのてっぺんにいたる。のんびりと景色を楽しみ、岩にしがみついて絶壁を覗き、行動食もゆっくり食べて下りにかかる。 テントを撤収してミサクコチャに降りた。
私たちは道を誤って少し危ないところも降りた。私たちには全く分からないが、Gは薬草に詳しく、このあたりはたくさん見つけられるという。彼の子供がぜんそくで、それに効くという草を取っていた。彼らは常識として薬草に詳しいようだ。工業製品としての薬は、彼らにはとてつもなく高価なのだ。 この日は2時間かけて2匹しか釣れなかった。いつでも入れ食いというわけでもなさそうだ。

7/31
この日はワラスに戻るだけだから、「おみやげ」のマスがほしいと言う二人のために釣ろうとするが、2時間かけても全くヒットしない。腕が悪いのか、時間が悪いのか、ルアーが悪いのか・・・ ルアーは3種類しかなく、金と銀のスプーンと、かわいいお魚で、金のスプーンがよくヒットしていた。5日前に入れ食い状態だったのはまぐれなのか?「おみやげ」なしで戻る。
帰りにMacashcaマカシュカの町に寄ると、カシャンに登に来る人は1年で10人くらいかな、と聞いた。


シャクシャ(8/3〜8/7)
カシャンは3回行ったけどこれまで他のクライマーと会うことはなかった。
このShaqshaシャクシャもたぶん人が入らない山だろう。

8/3
シャクシャはAgocanchaアゴカンチャという町までコレクティーボが入る。前もって電話で頼んでおいたアリエロ(ロバひき)が待っていた。有線の電話は通じないが、携帯電話が普及して連絡が取りやすくなっているのだ。 

なだらかな丘をゆくと、前の週に行ったカシャンと並んでシャクシャが見えてくる。丘には時々プレインカ時代のものらしい大きな石のモニュメントみたいなのが立ててある。倒れてしまったものもある。緩やかな草原なので、女性が用を足すには困る。M尾は石を積んだ囲いの影でタイムをとった。貴重な遺跡を汚していいのだろうか。
湖がある、と聞いていたので楽しみにしていたが、ない。あまり豊かではない水場の近くにテントを張る。周囲は「プント」だらけだ。大きな石の先端を、天に向けて尖らせてあるのだ。鉄器を持たない彼らがどれだけの年月をかけて削りあげたのだろう。

お茶を飲んでいると少し離れたところに別のアリエロがやってきて、荷物を下ろし始めた。しばらくすると顔を真っ白に塗りたくった元気のいい西洋人が来て英語で話しかけてきた。「君のロバはあっちだぞ」と教えてやる。この山で他のツーリストと会うとは思わなかった。
またGが指さして教える。「ビクーニャだ」と。双眼鏡を覗くと、確かに8頭ものビクーニャがのんびりと草を食んでいた。これも初めて見る動物だった。昨年はカモシカを見た。長く通っていると、アンデスの自然が見えてくる。 それから馬の群が現れる。普通では見られないような、競走馬のようなきれいな馬たちだった。それを追って、どういう訳か白いヘルメットを被って白馬にまたがった男が現れる。背景にシャクシャのピラミダルな鋭鋒。男はヘルメットではなくソンブレロを被らないと絵にならない。4540m。

8/4
近くでテントを張ったグループはさっさと出て行ったが、私たちはのんびりと出た。モレーンキャンプは大きな岩で平地がない。テントを張るだけのスペースを見つけるが、そこはかのグループもねらっていたらしい。彼らが荷物を持ってそこに来たときには私たちはすでにテントを張り終えてお茶を飲んでいた。若い女性がしばらくそこに座って恨めしそうにしていたが、何も言わなかった。「早い者勝ち」とはこういうことだもんね。

彼らは6人で、ダブルアックスなども持っていたが、どうも「強力なパーティー」という感じではない。Vが彼らはカナダ人だと言う。シャクシャは、堂々とした山容でルートはクレバ避けて複雑になりそうだった。南からなだらかな氷河の上を行き、頂上から垂直の線を引いた根本に達すると、あとはほぼ直上していく。

M尾と偵察に出る。急な岩場から氷河に乗り、尾根に上がると緩やかになる。尾根は細かいクレバスが無く、大きなものばかりで、ルートをうまくとらないと大回りしたり深いクレバスに阻まれたりすることになる。5240mで引き返す。モレーンキャンプに戻ってからも双眼鏡を覗いてルートを観察する。

8/5
4時前に出発することができた。ゆっくりだが休まずに歩く。
あらかじめルート図を頭に入れてとりつくが実際に取り付いてから見える景色が違うので迷うことも多い。所々トレースも見えた。スノーバーも残置されていた。人のにおいがある。斜面は60〜70度で、ロープをツインにして10mほど伸ばし、コンテで行く。スノーバーはたたいても入らないことが多く。必要なときはアックスのピックを刺してビレーする。

O村、あるクレバスにさしかかり、不安定に見えたのでM尾にビレーを頼む。つららの上下がつながっているが、下が中空になり、クレバスは深い。こういうのは一気に大きく崩れることがある。崩れると大きな氷と一緒に落ちるから、けがをする可能性もある。昨年は懸垂でつららを崩して大きな固まりを脚に受け、痛い思いをしていた。クレバスを縫って M尾のビレーを点検して、ロープが引かれる方向や体の向きなどを指示する。

「落ちるから頼むぞー」と言って静かに渡り始める。「落ちたら宙ぶらりんで、重傷だぞ〜」と振り返って念を入れる。実際には確率はさほど高いとは思わなかったが、真ん中で崩れた。宙ぶらりんになる。見上げると2m上に丸い空が見えた。壁は目の前にあり、これなら自力で登り返せる、と思う。でも、下を見るとクレバスの底は見えない。「大ジョブですか〜」と緊迫感のない声が聞こえた。ロープをしっかり止めておけと怒鳴って登り返す。よく確かめてみたが幸い大きなけがはないようだ。首の横と唇の下にロープがこすれたような傷があった。ひりひりする。



それからいっそう慎重になった。クレバスに落ちたら痛いのだ。あと少し頂上最後のピッチ 頂上直下の斜面は思ったよりも長く、きつかったが、あと少しと思ってがんばる。最後の1ピッチはハング気味の一手を乗り越えると、絶景が広がっていた。時間も予想通りだ。






さあ降りようぜと言うとき、少しあわてる。M尾は聞き違えて、ロープを持ってこなかったという。懸垂が30mしかできないことになる。でも全くできない訳じゃあないよと、気を取り直す。登りで、迷いやすいところには赤布をつけてきたのだが、これが少ない。ひどく迷った。快晴無風、視界良好、体力充実の中で、単純に見えたルートを失うこと数度、懸垂終了とともにヘッドランプとなる。

ここまではモレーンキャンプから見えているはずだから一応無事に降りてきたことは二人には分かるはずだった。そこからが結構長かった。ようやく目標の岩山に近くなると、ヘッドランプが見える。Gたちが迎えに来たのかと思って呼びかけると返事がない。彼ら同士で話すのを聞くと英語だ。
彼らは私たちが登っているときに遙か下の方でゆっくり歩いているのが見えた。彼らもこの日登ろうとしていたのだ。尾根にとりついたばかりの位置だった。そのあとは見えなくなっていたから、登るのを止めたのだろうと思っていた。

そこからは岩山に沿って降りるので斜面が急になる。彼らはその斜面に散らばっているようだった。私たちがテントに戻り、食事を終えても彼らはずっと斜面を上り下りしていた。夜間行動の訓練ということなのか?カナダの人は分からないことをする。
私たちは19時半にテントに戻り、少し疲れてはいたが、登頂の喜びに浸って遅くまで話していた。

8/6
朝、ゆっくりと支度をする。カナダ人たちはふて寝をしているのか、一人だけがテントの周りを歩いていた。登る気をなくしてしまったのだろうか。
この日は少し遠回りだが湖に降りて休むのだ。マスがいると言う。どこでも歩いて行けそうだが、モレーンの岩は切り立っているところもあり、ルートを見極めないと行けない。途中の小さな湖はいかにもマスが棲んでいそうで、ルアーを試すが全くあたりがなかった。

湖畔の至る所に肉食獣の糞が見られる。その密度が異様に高いのだ。これだけの糞があるということは、それをまかなうだけの「肉」がないといけないはずだが、湖に休みに来る水鳥が、そう易々と食われるとも思えないし、他の動物がいるようにも思えない。
下の大きな湖(シャクシャ湖)まで降りると、アリエロをつれたあまり若くない女性が一人で登ってきた。カナダ人だという。ワラスの近くには鉱山があり、そこはカナダの会社が運営しているので、カナダ人が多い。この人はロバに荷物を積んでトレッキングするのだといい、この日が二日目らしい。ここから上にはロバは行けないから引き返してカシャンの方に向かうのかも知れない。マスが釣れたらあげるよ、と言っておく。でも、それから半日ルアーを投げ続けて,23cmくらいのが4匹、35cmが1匹しか釣れなかった。大きいのはやせていた。カナダ人は太り気味だったからあげなくても罪悪感は残らなかった。

夜お茶を飲みながら、先ほどの糞のことを聞くと、それは狐だろうという。他の肉食獣は狼かプーマで、それらはもうこの辺りにはいないと言う。 糞のことを、スペイン語でpotoという。「俺はシャクシャのてっぺんにpotoを残してきたぞ」というと、「そんな人はきっと初めてだ」と褒められた。「メグチャンも一緒にやったのか」と聞かれて、この話題は大いに盛り上がった。彼らにとって「セニョーラマツオ」とか「セニョーラメグミ」などは覚えにくいようで、「メグチャン」は定着していた。メグチャンの方も、グラシアス(ありがとう)とかテ(お茶)カフェ(コーヒー)くらいは言うようになっていた。

8/7
釣りを楽しんだ分、ロバがくるところまで荷物を担いで登り返さなければならなかった。 この山で、他のツーリストに2回も会うとは意外だったが、ブランカ山群一帯は、極端に人が集中する山と全く人を見ない山とに分けられる。そういう意味ではシャクシャに人がいたというのは、いい傾向と考えてもいいかも知れない。でもそれが二つともカナダ人だったのは、彼らの間では知られた山、と言う意味かも知れない。


サンタクルス(8/10〜8/16)

Santa Cruzサンタクルス、聖なる十字架という意味だ。他の山はだいたいケチュアの言葉での名前だが、これはスペイン語だ。すばらしい姿でそそり立つのに、誰に聞いても、ここに登る人は年に1パーティーしかいないと言う。ワラスの街からコレクティーボ(小さな乗り合いバス)で1時間ちょっと走るとCarazカラスという街に着く。ここでタクシーを探して(と言うより、運転手が何人も寄ってくる)、

Cashapampaカシャパンパに入る。ここがサンタクルス谷の入り口で、3泊4日のトレッキングコースの出発点だ。たぶんブランカ山群のうちもっとも人気のあるコースだ。 国立公園に入るから「入園料」をとることがある。窓口を開くのは3年に1回くらいの割だろうか。毎年とるわけではないし、逆コースをたどるときの窓口の5分の1ほどの値段であるから、どういうシステムなのか分からない。今年は窓口を開く年になったようだ。ここのロバひきの元締めをしている男がAquiresアキレスと言い、なじみになっている。2年ぶりに会えるのを楽しみにしていたが、トレッキングに出ていて留守だった。

8/10
前もって連絡しておいたのにロバがなかなか来なくて出発が遅れる。ロバ3頭に荷物を運ばせるので私たちは軽いザックだけだ。サンタクルスの谷は何度も来ているので分かっているつもりだった。右岸に切り立つ岩壁の間に急なルンゼが切れ込んでいる。そこをロバが登るのだ。分岐には大きな看板があって、目指すPaccharuriパクチャルリ谷の入り口を示していた。だから見落とすはずがなかった。ロバより先に歩いていて、行き過ぎたことに気づいて少し引き返す。あとで、前の道は崩れて危険になったので、廃道になり、一つ上の谷に新しい道がつけられた、ということだった。昨年、同じ道をたどった嘉彦はこの道を行ったのだろうか。それとも前の「危険な道」を登ってしまったのだろうか。 

そこでアリエロの二人が、ここから先はいいテンバがないからここで泊まろうと言う。そこはサンタクルスの谷を渡る地点で、藪になっていた。止まるとブヨがたかる。実際に二の腕をたくさん刺されてあちこちに血が出ていた。私は、こんなところでは泊まれないよと思ったし、まだ1時間と少ししか歩いていないので、ポルテアドールと相談しろよと言う。でも相談はしなかったようだ。

急な崖を登り始める。 ロバは急な山道をいやがってだだをこねるがアリエロとポルテアドールが協力して追い立てる。ロバの方もこちらの思うように動かないから、アリエロも2人必要だったようだ。私たちは彼らに二人分払わないといけないのだろうかと心配した。急な崖のような道は1時間と少しで終わり、なだらかになってくる。道はだいたいはっきりしていて迷うことはないが、それは牛の道であり、人が通るためのものではない。牛も歩きやすい道を行くのでほぼ決まった道ができていくのだ。 

やがて芝のきれいな広場が見えてきた。この日のテンバだ。年に1パーティーが入るかどうかという谷だから、テントのあとなどはない。国立公園内で、もちろんたき火などは厳重に禁止されているけど、何しろ人が入らないのだから薪も豊富にある。日本人は山に入って機会があればたき火を起こすことに全く抵抗はないが、彼らにとってはむだに木を燃やすことは、犯罪に近い気持ちもあると思う。竈を作るときもガスコンロのように小さなものを作って効率よく火を使う。この夜は盛大に日本式のたき火を楽しむ。3950m。

8/11
谷は徐々になだらかになり、やがて平原となる。両側は穂高の屏風岩のような岩壁がそそり立つ。正面に氷壁が見えてくる。これはアブシャラフというあまりそそらない山だ。さらに行くと目指すサンタクルスがその姿を現してくる。放牧された牛が草をはむ、絵はがきのような草原の魅力も捨てがたいけど、ロバがいけるところまで進もうと、さらにモレーンの麓の森まで進む。

昼休みをとったあと、アリエロの二人は戻っていった。ここでは普通登るのに二日かかったら下るのに一日かかるとして、合計で3日分の料金を請求されるのだが、値切った。交渉はスムーズで、私がアキレスの友達だということが大いに威力を発揮したように思う。

私たちはモレーンに上がって、サンタクルスの景色を眺め、スケッチして大きなケルンを積む。右にアブシャラフの氷壁が露払いのように控えて、正面にサンタクルスだ。これでますが釣れたら言うことなしだ。この日も大きなたき火を作る。

8/12
この日は氷河の末端まで上がる。ここではその位置を、campo moleno カンポモレーノと言う。だいたい4200mくらいが森林限界で,4600mくらいが氷河の末端だから、それ以上になると氷河のキャンプになり、それをcampo汽ンポウノと言う。アンデスでは、最終キャンプがモレーノかウノかで大きな違いがあり、6000mを超える場合はC気鮴澆韻襪里普通だ。この高度になると、順調な高度順化をしてきても息が切れる。

私たちはゆっくり行き、ポルテアドールの二人はさっさと行く。彼らはよいテンバを探して快適なテント生活を客に提供する義務があるのだ。私たちがケルンを積みながらのんびりと上がって行くと、二人はテンバを捜し回っていた。それでも、とにかく入る人が少ないので、キャンプサイトとして整地されたところはなく、新たに土木工事で造ることにした。それは、日本人なら工事を諦めるような、大きな岩がある場所だった。特にグラシアーノは小柄だけど、二人はものともせずにピッケルで掘り起こしては大きな岩も動かしてテントに必要なスペースを広げていった。

近くに大きな平たい岩が見え、そこにはテントを張ったような形跡も認められた。でも傾いている。嘉彦はそこでテントを張ったのだろうか。正しいテントスペースは水平でなければならないのだ。O村も少し手助けはしたが本気ではやらない。彼らとは体の造りが違う。小一時間でテンバができた。彼らはここで4泊するからこの労働は彼らにとっても大いに価値がある。見上げるサンタクルス南面は「壁」として迫っている。



8/13
観察して、「これしかない」と確信できるルートを引くことができない。下部の岩壁を突破するルートが曖昧に見える。氷の状態がよく分からないのだ。それでも見るところ、ガイドブックにあるように中間の氷壁はさほど急には見えない。それには、そこは50〜60度とある。登れるだろうと思った。

この日は下部岩壁の取り付きまで偵察を兼ねて登ることにする。 氷河に取り付いて、クレバスを避けて登っていくと傾斜が徐々にきつくなり、とうとう70度になる。ダブルアックスで登っていき、下部岩壁の下に達する。シュルンドの幅は大きくなく、C気鮑遒襪覆蕕修海靴ない。シュルンドを埋めるために、大きく氷を削り、平らにする。テントを張るまでの広さは確保できず、幅は1mと少しくらいだ。でも、ここからアタックとすれば、モレーンキャンプから比べるとずい分楽になるだろう。 それにしても下部岩壁は下から見たよりも氷が薄くなって、判断がつきにくい。C気ら右に見えたミックスの部分は、横から見ると薄いベルグラのような氷が続いていた。アックスを振るえば大きく崩してしまいかねない。

降りる途中で振り返ると、左側には細いルンゼが2本あり、その一つは氷が少し安定しているように見えた。 モレーンキャンプまで降りると、二人は燃料として割り箸のように細い枯れ木をたくさん集めて竈を作っていた。この夜も暖かいものをたっぷりと腹に詰める。

8/14

この日は重い荷物だが、前日に4時間で登ったところを3時間半で登る。C気離好據璽垢鬚気蕕棒庵呂靴栃燭蕕砲垢襦寝るときにはハーネスをつけていないと恐ろしいことになる。荷物も落とさないように気をつけよう。なんだかコンドルの巣(見たことないけど)に泊まるみたいな気分だ。前日にあたりをつけておいたルンゼに向かう。フィックスを張っておく方がいいだろう。C気離謄薀垢ら水平に30mのトラバースで取り付きだ。ルンゼを見上げると、氷は岩から浮いて、つららのような柱になっている部分が多い。細いところは人のももくらいしかない。アックスを不用意にたたき込んだら崩してしまいそうだ。慎重に、ショックを与えないようにじりじりと登っていくと、30mに1時間以上かかってしまう。M尾が登る時間がなくなってしまった。

8/15
氷の崖に作ったキャンプは、ハーケンとスノーバーで確保したままだったが風もなく寒くもなく、気持ちよく眠れた。 

ヘッドランプをつけて出発する。すぐにルンゼにかかり、O村はフィックスロープにTブロックをかけて登る。続くM尾には「強くたたくと壊れるから、そっと打つんだぞ」と言っておくが、下からはガシガシとがんばっている音が聞こえていた。とうとう一番細い部分を蹴り崩してしまい。テンションがかかる。アックスが届かなくなったという。M尾はロープ登りができないだろう。私もいったん取り付きまで降りて、C汽謄薀垢留βΔ砲△襯戰襯哀蕕鵬鵑蟾むしかないかと考えていると、M尾、なんとか時間をかけて自力で登り返すことができた。

そこから急な氷壁が続く。ガイドブックにも50〜60°の斜面とあり、下からもそのように見えていたが、実際には60°以上だ。厳しい登りが続いた。ロープはツインにして30mのコンテだ。途中に必ずプロテクションをとるようにした。スノーバーをたたき込めないことも多かったからV スレッドも作った。時々風で飛ばされた氷が降ってくる。岩が出ると、その付近は傾斜がきつくなるので避けるように行くが、避けられないことも多く、70°になってしまう。



シャクシャの反省から赤布をどんどん残していく。ピックで穴を開けてそこに先端を突っ込み、氷を押し込んでおくと、よくはためいて目立つ。 M尾はどういう訳かショッキングピンクが好きで、どうにも気に入らなかったのだが、目印としてはいいのかも。

見上げると、頂上に続く上部岩壁が大きく見えた。それは厳しく襞を刻み、ミックスの部分は90°になりそうだ。最大でも70°くらいに見えた壁は、大きく手を広げて威嚇するかのようだ。私たちは70°の壁で苦闘を続け、そのあとに90°の壁を越えていくほどの強さはない。今日予定した行程の半分しか来ていないのだ。12時に近かった。

12時で切り上げて戻ることにする。すでにシャクシャで使ってはいたが、懸垂の確認をする。氷を削ってボラードやVスレッドを作る。特にボラードは安定した立派なものはいちいち作れないから、浅いものになる。ロープを外さないように下向きに力をかけ、フォロワーはバックアップをとって様子を見る。O村が初めに降りる。ロープは氷のでこぼこにひっかかり、まっすぐには伸びない。逆向きに絡まることもある。60mを何事もなくスムーズに降りるということがないのだ。

いったんのびたロープをたどってM尾はすいすいと降りてくる。その間にO村は次のアンカーを作る。赤布を回収しながら方向を見定めていく。15ピッチくらいは繰り返しただろうか。ぴったりと取り付きのルンゼに入った。M尾が崩した氷は3mくらいで、そこは再び登ることはできない。「コンドルの巣」のテラスにはい上がってデポした荷物をまとめ、30mのコンテで降り始める。
M尾はロープをつなげているから先に立ってガシガシと行く。私より速いから引っ張られることになる。何のためのコンテだと、本気で腹を立てて怒鳴る。18時になっていた。明るいうちに氷河を降りなくちゃいけないが、焦ってはいけない。慎重に進む。氷河を降り、アイゼンを外す。そこにGとVが熱いコーヒーを持って上がってきてくれた。ちょうど暗くなるころ、19時にテントに戻る。

8/16
あまり疲れが残っているわけでもないが、遅くまで眠っていた。
この日は一気にカシャパンパ、そしてワラスに戻るのだ。前の日には、約束のロバひきがカンポバセ(ベースキャンプ)まで上がって来ているはずだ。私たちが降りていくと、かわいい男の子を連れたアリエロが待っていた。ロバたちも下りは苦労することなく、さっさと降りていった。ポルテアドールの二人もどんどん行ってしまう。
岩尾根で一度、サンタクルスの橋で一度、道を失った私たちを、引き返して案内してくれた。昨年の嘉彦は橋が分からず、徒渉したらしい。少しくたびれたなあというころ、ようやくカシャパンパにたどり着いた。

この日もアキレスは出張中ということで、三日後に帰るという話だ。そんなには待てないよ、と奥さんに伝える。アキレスは「セニョールオカムラにごちそうしてやれ」と伝えていて、四人はマスのフライをサービスしてもらったのだった。いっそうアキレスが好きになった。奥さんは、M尾を気にしていて、「あのセニョーラはだれですか」と聞いた。どう答えたかは内緒にしておこう。

ペルーの山は氷河の状況が年々悪くなっているようだ。ワンドイの氷壁が丸ごと落ちて、岩がむき出しになっているのも見た。帰りに振り返ったサンタクルスの西面も同じだった。昨年のランラパルカも氷が落ちていた。私自身も登る力がどんどん落ちているのを実感する。あと何回ペルーの氷壁を楽しめるのだろうか。


O村孝行氏との35日間・ペルーライフ(記・M尾)


5月の末、突然、ペルーに行きたいと思いたち、O村氏にメールした。“私をペルーに連れてって!これって、無理ですか?”不安もあった。言葉の問題もあるが、まず第一にO村氏のことが全くわかっていない。一緒に山に行ったのはゲレンデスキー1回といきなりアプローチで落ちたGWの「不帰」だけだ。ぶなの人に聞くとみんな口をそろえたように“変な人!”と、言う。「うぅーん!」「よーし!だったらその“変!”を自分で確かめてやろう!」(私も変だからちょうど良いとは思うけどー・・・)

出発当日、いきなり成田空港で参った!フライト2時間前、待ち合わせ場所に現れない!フライト1時間前になってもまだ来ない。カウンターの人には「遅くとも1時間前には手続きしていただかないと・・。」と言われている。「お一人だけで出発しますか?」とも言われた。でも、1人では行けない!心臓がつぶれそうにドキドキしていた。40分前、さすがにタイムリミット!もうダメ!成田敗退???“明日か明後日のフライトに空席は・・・”と、考え出した時、あわてているふうもなく、「お待たせしましたー!」と現れた!・・・ホッとするより、調子が狂ってズッコケてしまった!

乗り継ぎのヒューストンで私の手荷物が引っかかり、何度も検査された。ライター(入れたつもりは無かった)、眉毛カットのはさみ(何でこんなものが入っていたの?)、ワイン抜き。何を言っているのかチンプンカンプンだがじっと待っていた。O村氏から「もう時間が無いから諦めろ!」って言われた時、すでにリマ行きのフライト3分前!“ギャー!”「ネー!ネー!そういうのはもっと早く言ってよー!」必死で走ってゲートに着いたら、出発が1時間遅れていた!“ふぅー!助かったー!”

リマ空港でも焦る!私のトランクが出てこない!登山装備一式、入っている。ワラスに届けると言っているが本当に届くのか心配だ。のんびり落ち着き払っているO村氏に対し、私の方は気が気ではない。届かなかったら地球の反対側まで何をしに来たのか判らなくなる。トレッキングも出来ない。落着かない3日間を過ごした後、「カシャン」へ出発する前夜、ぎりぎりセーフで届いたトランクは、鍵が壊され、ガムテープでぐるぐる巻き。中には警告書が入っていた。“鍵をかけるな!って言っただろっー!”って、書いてある、ら、し、い。(英語なのでほとんど判らない)

スペイン語どころか何語もダメ!日本語オンリーの私は、どこへ行くにもO村氏の後にへばり付いて行くしかない。おまけに、自慢じゃあないが、極度の方向音痴&地理音痴。O村氏を見失ったら遠くペルーで100%宿にも帰れない、最悪の迷子になる。お祭りの雑踏の中に入り込んだ時には本当に必死だった。「ちょっと待ってー!たまには後、振り向いてヨー!私、目も悪いんだからーー!」

言葉がわからなくて困るのはもう1つある。当たり前だが、O村氏が友人、知人、ポルテアドール達と話している内容が全くわからない。ひょっとしたら私の悪口だったのかもしれないのにニコニコ笑うしかない私。本当に悪口だったとしたら・・・バカみたい!

ベタニアの屋上への階段。昨年O村氏はここから落ちて嘉彦君とのサンタクルスを断念したとか。この階段、私も滑った!「気をつけろ!」と言われた矢先だった。私の場合は、セーフ!しりもちをついただけで落ちなかったがズボンのお尻と持っていた洗濯物がレンガ色になった。要するに階段、廊下にワックスをかけたばかりだったのだ。乾きも早く、乾けばまったく滑らないのに、かけた直後はヌルヌルなのだ。ワックス掛けをしている時は部屋から出ないに限る。

山へ行く。4,000mを越す。高山の影響で登りは死にそうにつらい!歩きながら「私の心臓、止まりそう!」と、言っていたはずのO村氏、突然、ケルンを積み始める。「大きいのを造るんだ!」と、言って、ドでかい石を集めている。私は苦しいから小さいのだけ集めてごまかす。O村氏、ケルンにはかなり拘りがあるらしく、「100年残るケルンを造るんだっ!」と言う。「ねぇー!心臓、止まるんじゃあなかったのー?」どうやらケルン造りが始まると高山病も治ってしまうらしい。ケルンは合計で5−6個作った。

サンタクルスのBCではそのケルンの頭から太陽が昇った!ウワァー!感動―!ガソリンコンロは高いところへ行くと調子が悪くなる。EPIは高所でも問題ないようだがボンベが日本よりも高い。(中ボンベ、約20ソル、日本円で約700円)冗談に「コンロも高山病かなー?」って、言ったら、「そう、O村と同じ!」だって!噴き出してしまった!確かにO村氏は寝てる時など息苦しいことがあるようだ。私は・・・?うぅーん。歩いている時は苦しいけどー・・。あとは別にー・・!やっぱり私って、かなり鈍いのかもー!”

ワラスに居る時、たまには“Chi fa”(中華料理店)でも食べたが、日本から持っていったものと合わせて自炊をした。夕方、Mercado(中央市場)に買い物に行く。食材等はすごーく安い。デザート用の網網模様のメロンなど1個、1.5ソル(日本円で約50円)。ここぞとばかりに贅沢する。ワラスでの一番のヒット食はトンカツ。肉の下ごしらえ等はすべてO村氏がする。かなり手馴れている。私も一応主婦歴33年だが全く出る幕が無い。と、言うわけで私の担当はパンをちぎってのパン粉作りと切れない包丁でのキャベツの千切り???かなり太いが我慢!我慢!
そういえば、山で釣った鱒をさばいて刺身を作ったのもO村氏。私は1度挑戦したがいきなり指を切ってしまった。仕方なく、お皿にワサビと醤油を出す担当になった!

「シャクシャ」に発つ前の日、高野豆腐と切り干し大根を煮た。私のいつものパターン、後先考えずに作り過ぎる。で、この日もたっぷり残ってしまう。山から戻るのが6日後。まず腐っているだろうと思いつつも冷蔵庫に入れて行く。そして6日後。恐る恐る食べてみる。味はなんとも無い。しかし、糸を引いている!「やめた方が良い!」と言うのに、O村氏、全部食べてしまう。・・・・・  わたしゃ、しーらない!案の定、翌日、おなかをこわしていた!!

山中での禁酒、禁煙のせいか、ワラスに戻るとどうも飲みすぎてしまう。O村氏のタバコの量も増える。しかし、O村氏、ワラスが3000mを越しているのでセーブしているのか、それとも私と飲むのでは酒が不味い!と言うことなのか、巷の噂ほどにはアルコールを飲まない。私の方はなんとなく物足りなくてついつい「ピスコ、買ってこようよー!」と、言ってしまう。「私って、やっぱ、アル中???」

O村氏、ある日、精力剤まがいの怪しい液体を買う。これはワラスの友人、エミリアーノにしつこく薦められたからだと思う。私もなめてみたがまずくてとても飲めた代物ではない。翌日、彼のインターネットの店に行き、「あれ、買ったよ」と、報告した。エミリアーノ、私の顔を見てニコニコ!「良いね!良いね!良かったね!」(この人、日本語が話せる) “はぁーっ?????、えっ?なーに???・・・・えぇーっ???・・・”「ちょっと、ちょっとー!私には関係ないでしょー!きちんと説明しておいてー!」

私の場合、結局のところペルーにいる間、食欲も落ちず、おなかもこわさなかった。機内食もリマ−ワラス間の長距離バスで出る不味いランチも残さず食べた。言いたい放題、口の悪いO村氏は“豚並みの胃袋だな!”と言う。これは3回言われた。この言葉、山屋としては“褒め言葉”だと言うのだがどうも信じられない!一般的にはレディー(???)に言う言葉ではないと思う。かなり失礼だ!とは言うものの、 胃腸も丈夫!時差ぼけ無し!薬を飲まなくても高山病にもならない。確かに“可愛げがないなー!”と自分でも思う。おまけにペルー滞在中に体重が3キロ近く増えてしまい、体が重くて仕方が無い!  “これはかなり、やばい!”そんなこんなで珍道中の私の2005年ペルー行も終ってしまった。

サンタクルスには登れなかった。3度目の挑戦で登れなかったO村氏のショックは大きかったと思う。しかし、私の場合は特別なこだわりがあったわけではない。Shaqsha(5703m)に登れただけで充分満足している。毎朝、ベッドから起きると窓越しに見えていたペルーアンデス、ワスカラン、尺もののトゥルーチャ(鱒)、コンドル、南十字星、さそり座、そして人懐っこく愉快な町の人たち、2人のポルテアドールなどなど。ワラスの青い空と共に今も私の目から離れない。


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