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山行報告


よみもの


ネパール・ヒマラヤ
パルチャモ峰(6273m)登頂記

M尾恵

“1度は6000メートル峰に登ってみたい!”              
“酸素が地上の半分以下ってどんなところだろう!”
昨年6月、夫が退職した。「これからは家にいるから留守番できる。どこかに登ってきたらどうだ」と、涙の出るようなことを言ってくれた。「ラッキー!待ってました!」

と言うことで「パルチャモ」に行く事にした。実は「パルチャモ」でなくてもどこでも良かった。たまたま昨年北海道の山でお世話になったガイドツアー会社「ノマド」の企画にあったのと、知人から「真っ白できれいな山だよ」って聞いていたので「雪山、大好き人間」の私としては「ここに決−めた!」ってなっただけのこと。


行程
2004年11月

 17日(水) 羽田空港〜関西空港〜カトマンズ
 18日(木) カトマンズ滞在
 19日(金) カトマンズ−ルクラ〜パクディン
 20日(土) パグディン〜ナムチェ・バザール
 21日(日) ナムチェ・バザール滞在
 22日(月) ナムチェ・バザール〜ターモ〜ターメ
 23日(火) ターメ滞在
 24日(水) ターメ〜テンポー
 25日(木) テンポー滞在
 26日(金) テンポ〜BC
 27日(土) BC滞在
 28日(日) BC滞在
 29日(月) BC〜HC
 30日(火) 山頂アタック〜BC

 

 

 

 

 

 

 


11月17日(水) 羽田空港〜関西空港〜カトマンズ
関空でノマドのガイド宮下岳夫氏はじめ他メンバー4人と合流。うっかり小型ナイフを機内持ち込みにしていた為、関空での受け取りに時間がかかり、持ち合わせ時間に遅れてしまう。没収でも良かったのについついケチってしまった。

さーっと、メンバーを見る。参加者は全員女性。宮下氏は穏やかそう!他メンバーもあまり癖のありそうな人はいない。すぐに一番年長のSEさんが声をかけてくれた。この人が一番やばそうかな?(笑)
上海で給油の後、カトマンズ空港へ。5年ぶりのネパール、カトマンズ。相変わらず埃っぽいが前回、車の周りに群がってきたストリートチルドレンは全くいなくなっていた。

今回の現地エージェントは「グリーン・トレック」。トレッキングのサーダーはアン・パサン・シェルパ。ネパールが雨季になる夏、ノマドで働いている彼とは昨年のノマドの山行で1度会っている。顔をあわせた途端に「お久しぶりです」と言われ、驚くやら嬉しいやら。


11月18日(木) カトマンズ滞在
今日から高山病のチェックの為、パルスオキシ・メーターで血中酸素濃度と心拍数を計る。全員パルス95−98。「問題なし!」と言ってもここはカトマンズ。当たり前!今日はトレッキングと登山の準備の為、カトマンズに滞在。準備はエージェントがしてくれるので私達はフリー。カトマンズの町をふらつき、土産物店を冷やかして廻る。

前回、埃で喉と鼻を痛めて帰国後3週間治らなかった経験から今回はマスクを持参。町に出る時とトレッキング中はしっかりマスクをすることにした。6人の「マスク軍団」はかなり怪しかったことだろう!昼食は日本料理。カツどんに焼肉定食、チャーハン、マーボー茄子。
これって「日本料理」?夕食はアン・パサンの案内で中華料理と称する「無国籍料理」の店へ。カトマンズのレストランってどこも無国籍料理店なのかなー。


11月19日(金) カトマンズ−ルクラ−パクディン
朝6:30、カトマンズ空港へ向う。ルクラへの国内線は7:00発を予約してあるとか。空港までは約40分。「えぇー!間に合うのー?」
これが間に合うのです。ルクラへの飛行機は有視界飛行の18人乗りセスナ。朝方はいつも靄がかかる為、時間どうりにスタートすることは皆無なのです。この日も出発したのは11:00。これでもまだ順調な方だと言うので驚いてしまう。

飛行機に乗るとすぐに耳栓用の脱脂綿と飴が配られる。この耳栓、この凄まじい爆音にはほとんど役に立たない!左にヒマラヤの山々を眺めながら40分ほどでルクラの空港に着く。5年前は土の滑走路だったが今は舗装されて立派になっている。ただ、相変わらず山の斜面に激突しそうに着陸をする。要するに山の斜面に向って突っ込めば自然に止まると言うことのようだ。

ルクラで昼食を食べ、ドゥード・コシ(川)に添って今日の宿泊地、「パクディン」に向う。ドゥード・コシがエベレスト、チョー・ユーの氷河からの水だと思うと感慨深いものがある。
今回驚いたのはエベレスト街道のあちこちにゴミ箱が設置されていること。これはサガルマータ国立公園が世界遺産になったかららしい。とは言え、現地の人たちは相変わらずゴミはその辺にポイポイ放り投げている。


11月20日(土) パグディン〜ナムチェ・バザール
この時期、ネパールも日本の晩秋にあたる。紅葉シーズン!
なのになぜか街道筋にはタンポポや菜の花が咲いている。ダリアやコスモス、マリーゴールド、ジキタリス。春の花、夏の花、秋の花が一緒に咲いているのだ。なんとも不思議な気分がする。

今日の昼食は途中の河原ですることになった。
ポーターたちがガス、コンロ台すべてを運んでくれ、キッチンボーイ達が作ってくれる。今日のメインはピロシキ(?)皮までその場で作る。5個食べてしまった!(他の人は2個づつ)今回のスタッフはシェルパ4名、キッチンボーイ11名、ポーター23名とのこと。たいした大名旅行だ。多くの人たちが私達の登頂の為に力を貸してくれていると思うと「なんとしても全員登頂しよう!」と、みんなで誓い合った。

ナムチェのテント場は高台の棚田。
夏はジャガイモ畑だが今はすべて掘り起こされ、そこがテント場になっている。トイレテントも作ってくれる。正面にタムセルク(6,608m)、クスムカン・グルム(6,369m)、右にクワンデ峰(6,187m)。すばらしいロケーション。夜になると満天の星!でも、私に判るのは北斗七星だけ。「星ってこんなにたくさんで大きかったかなー!多かったかな!」って思ってしまう。


11月21日(日) ナムチェ・バザール滞在
標高3446メートル。富士山より少し低い。
朝、酸素濃度89、心拍数86。心拍数が上がっているがまあまあ順応はかなり良い方だと思う。高所順応にエベレストビューホテルまで行く。ここは標高3800メートル。昔、4000メートルに行ったとき、「空気、薄い感じ、全くしないけど・・・」って言ったら、「ただ鈍いだけじゃあないの?」って言われちゃったけど、うぅーん!やっぱりなんとも無い!やっぱ、鈍いのかなー?

ビューホテルの玄関前には今回も桜の花が咲いていた。しかし、かなりの老木!いつまで生きているのだろう!テラスでエベレスト、ローツェ、アマダブラムの大パノラマを肴にコーラを飲む。帰りはシャンボチェの滑走路を通る。広大な草地の向こうにクワンデが聳えている。ここからは毎日のように高山病の人がヘリでカトマンズまで下ろされている。1時間20万円。日本の民間ヘリは1時間100万円。かなり安いけど、絶対に乗りたくない!(4年前、足首を骨折し、東邦航空に77万円支払った!)

ここから少し下ったところで今回の目的の山、「パルチャモ」が遠望できる。クワンデとテンギラギ・タウ(6,943m)に挟まれ、一番低くてなんとも貧弱だ。言ってみれば「ブライトホルン」の6000メートル版か。ナムチェに戻り、町の中を散策する。土産物店を廻るがここにあるものはすべてカトマンズから持ってきているとのこと。

山頂の寒さでカメラが使えなかったときのことを考え、コンパクトカメラ1個を買う。ほとんどがASA800。英語もからっきしダメ、ネパール語は“ナマステ”しかわからない。ASA400を探すのに大苦労した。スーパーの棚にコーラやクッキーと並んでダイアモックスがあったのにはびっくり!20錠300ルピー。日本円で約600円。1シートに2,3錠づつ欠けているのは登山者がそーっと盗んでいったのだろうか?試しに1シート買ってしまった!夕方雪が舞った!


11月22日(月) ナムチェ・バザール〜ターモ〜ターメ
カラパタール、エベレストBCへの道と別れ、テシ・ラプツァ(峠)に向う。
この道はチベットに続いている。なんとなく木の間越しに明神岳が見える上高地街道を歩いているような錯覚を覚える道だ。でも、ここはネパール!ボーテ・コシ(川)を挟んでクワンデ北壁が圧巻で聳えている。「クワンデ北壁フンゴーフェース」、札幌の中川博之さんがここを登っている。(廣川健太郎著「チャレンジ!アイスクライミング・氷の世界へ」の198ページ、または、「岳人」2003年3月号51ページを読んでください)

突然、目の前を鳥が飛んだ!孔雀のように頭に王冠を付けたきれいなブルーの鳥。「ダーペ」、ネパールの国鳥。良く見たかったけどすぐに樹林の中に消えてしまった。

ターモを経てターメへ。このあたりまで来ると数日前の雪が残っていていよいよヒマラヤだなー、と思えてくる。ターメのロッジはストーブが焚かれていて暖かくてほっとした気分になる。燃料はヤクの糞。
臭いも無く、良く燃えて暖かい。カスが残らないので自然に優しい!この高さで飲むロキシー(蒸留酒)はなぜか一段とおいしく感じる。



11月23日(火) ターメ滞在

夜半から降り出した雪が朝起きると3cmほど積もっている。
今日はここに滞在して高所順応に行く。ターメの標高は3,820m。今朝の酸素濃度90、心拍数83。富士山の高さなのだからかなり上出来!ここから右側の斜面を標高4,500mあたりまで登ると言う。しかし、あまりの足元の悪さ(草付きの急斜面)に4,300mで早々引き返す。

夜、ロキシーを飲む。お酒はここまで。明日の宿泊地は標高4,320m。私にとってはこれまでの最高宿泊高度となる。アルコールはぐっとこらえて、登頂後の楽しみにしよう!


11月24日(水) ターメ〜テンポー
ここ数日、夜は10時間以上横になっている。
夕食が終わり、ロキシーを飲んでくつろぎ、テントに戻るのが19:30。ヘッドランプでは本も読めず、ペットボトルも凍る寒さなので横になるしかない。朝はスタッフがテントにモーニングティーを持ってきてくれるのだが、これが7:30。日本でもそうだが山は日頃の睡眠不足を解消するには最適のようだ。

ただ、日本と違うのは高山病予防の為、水分をたくさんとるため、夜中のトイレの回数が多い。寒くて行きたくないけど仕方が無い。多い日は4、5回行く。テントに戻ったら出した分の水分をとれ!、と言うのでまたお湯を飲む。だからまた行かなければならない。だんだん標高が高くなるとちょっと動いても息切れがしてくるものだが、トイレが一番苦しくて息切れがひどい!

ターメから先に行くと石楠花の樹が増えてくる。
アンナプルナの石楠花は3月にラリーグラスの真っ赤な花を咲かせるが、ここのは白い花。4−5月に咲くと言う。テンポーに着き、午後からはアタックに備えてユマールで登り、8環で懸垂する練習をする。メンバーの中にはこれらを見るのも始めてと言う人もいて驚いてしまった。ピッケル、アイゼンも「モンブラン登頂」の時以来、2度目だと言う。この方、「アイゼンって、左右があるのかしら?」っておっしゃる。(おっとっと!)



11月25日(木) テンポー滞在
昨夜は上部滞在用に大テントを張り、メンバー5人全員で宿泊した。ところがこのテント、バリバリに霜が付く。朝になり、陽が当たってくると今度は融けてテントの中で傘を差したくなるほどの雨降り状態。また、元の2人テントに代えてもらう。

午前中、標高5,000mあたりまで高所順応に行く。4,600mあたりに東側がバーンと開け、すばらしい展望の場所がある。聖山クーンビラ、アマダブラム、チャムラン、カンテガ、タムセルク、クスムカン・グルム。1日中眺めていたくなるほどのヒマラヤの大パノラマ。17歳のキッチンボーイ、ニマはこんな5,000m近いところでも走り回りバック転している。しかし、彼はこのあとテントに戻り、高山病で頭痛薬を飲んでいた.

昔、シェルパ族は高所に強いと言うことで高所登山のシェルパが生まれたわけだが、今のシェルパ族はカトマンズ生まれ、カトマンズ育ちが増え、その結果、シェルパも高山病になる、と言うことだ。現に酸素濃度はほとんどのシェルパやポーターが私達と変らない数値である。ちなみに、「ニマ」と言うのは「日曜日」と言う意味だと言う。シェルパの名前は生まれた曜日で付けられているのが多いらしい。月曜ーダワ、火曜ーミンマール、水曜ーラクパ、木曜―プルバ、金曜ーパサン、土曜ーペンバ、そして日曜日がニマ。今回のスタッフにも同じ名前の人がいる。従って、私達は17歳のパサンをヤング・パサンと呼んだ。


11月26日(金) テンポー〜BC
いよいよ今日はBC入り。
快晴だが昨日までと比べると早い時間から雲がわいてきている。天気は下り坂のようだが乾季のこの時期、くずれてもせいぜい3日間とのことだ。

BCまではガラガラの急登を行く。
一歩一歩ゆっくりと歩く。モレーンの中のBC。正面に目指すパルチャモが見えている。シェルパたちが大岩、小岩を除けてきれいに整地し、快適なテント場を作ってくれる。大変な作業で申し訳なく思ってしまう。昨日まではロッジがあり、食事はロッジの中でしていた。しかし、今日からはすべてテント。食堂テントも作る。その食堂テントの中でも今までと変わらず、宮下氏持参のBGMが流れる。「めーぐるー!めぐる、季節の中でー」。松山千春。さすがに北海道の人だ。

BCは標高4,845m。酸素は平地の半分近くになる。さすがにみんなの酸素濃度も下がってきた。心拍数も上がってきた。私とSEさんは何とか80台の後半を維持しているが後の2人は70台の前半。もう1人のMSさんは60台前半、顔もパンパンに膨れている。大丈夫かなー?昨夜まで、連日、誘眠剤を使った。宮下氏の話では持っているなら使ってしっかり眠った方がいいとのことだ。しかし、ここは4,800m。さすがに誘眠剤は怖くて精神安定剤を1錠だけ飲んだ。
この日も夕方から雪が舞った!


11月27日(土) BC滞在
夕べは息苦しくてほとんど眠れなかった。呼吸が浅く、吸おうとしても入ってこない。時々息が止まりそうになる。「雪崩で埋まって窒息死するのって、こんな感じなのかなー!」と思ったりした。ただ、これは横になっている時だけ。起き上がると楽になる。隣で酸素濃度最悪のMSさんは頭までシュラフに入って寝息を立てている。
この差はなんなのだろう!明日は高山病で下山かなー、と、かなりショックだったが朝の酸素濃度は89。宮下氏によると、これは初めての高度に来たからで、高所の通過点だから心配ないとの事。「絶対に死なないから大丈夫!」と笑われてしまった。

朝食時、登山の安全祈願の祈祷をする。スタッフの中にお坊さん風の人いて、ジェニファー(匂いヒバ)を炙り、お経のようなものを唱える。最後にチョルテン(旗)を飾る。私達のBCもエベレストのBCと同じになった!

この日、MSさんはテンポーに下ることになった。朝の酸素濃度が53。いつ意識不明になっても不思議じゃあない数値とのこと。高所順応に行く途中の道からポーター1人を連れてターメに下るMSさんが見え、涙が止まらなかった。

今日は5,400mまで登る。天気が良く、ダイアモンドダストがキラキラ輝いている。ここまでくると登りはかなりつらい。はたして頂上は踏めるのであろうか?途中のケルンの下にアイゼン、ピッケル、ハーネス等をデポする。BCに戻る頃、頭痛がして夜、バファリンを1錠飲んだ。


11月28日(日) BC滞在
今日は完全停滞の休養日。稜線は吹雪のようだ。
シュラフを干したり、おしゃべりしたり、昼寝をしたり。19時頃、夕食を食べているとアン・パサンが顔を出した。「MSさん、ターメから戻ってきて、そのあたりまで来ています」「えぇー!」

1人で下りたけど寂しくて戻ってきたらしい。しかし、彼女は翌朝、またターメに戻って行った。
顔も一段と膨れ上がり、脳浮腫寸前と言うことのようだ。脳浮腫になるとそのあとは廃人になると言う。高山病とは恐ろしいものだ。それにしてもそんな最悪状態なのに元気に飛び回っている彼女が不思議でたまらない。私はこの夜も苦しくて息が止まりそうだった。

話題/べ物
お刺身、お寿司、札幌ラーメン。キッチンボーイ達が私達の口に合うようにといろいろ手をかけて作ってくれる。しかし、生ものと魚は無い。確かにインスタントではないラーメン、食べたいナー!
話題
お風呂:カトマンズを出てから入浴も洗髪もしていない。今日まででちょうど10日間である。結局、カトマンズに戻るまで18日間入らなかった。慣れとは恐ろしいものである。


11月29日(土) BC→HC
今朝は快晴!しかし稜線は風速30メートルくらいありそうだという。
HCのテシ・ラプツァ(峠)に向う。標高5737m。一昨日5,400mまで順応で登ったわりには辛い!最後の氷河はフィックスして登ることになっていたが右から巻くことになった。時間的には1時間半余計にかかるそうだがそこからだとアイゼンを使わなくてもいいのでポーターたちがHCまで上がれるということだ。
最初の予定ではポーターはアイゼンが使えないのでBCからHCまでは自分達で荷揚げする、と言うことになっていた。ラッキー!これでかなり楽ができる。

途中から頭がボーっとしだし、酸欠状態!せっせと深呼吸をした。夕食は宮下氏がこの日の為に持参して来てくれたお雑煮。やっぱり日本の物はおいしい!夜中にテントから出ると満天の星!風も無く暖かいアタック前夜だった。



11月30日(火) 山頂アタックーBC

3:00起床。紅茶と雑炊で軽く食事をし、出発準備をする。
さすがにヤッケを着るのもハーネスをつけるのも苦しい!時間がかかる!SEさんがハーネスを着けて欲しいと言う。手袋も入らないと騒いでいる。
当然でしょう!いくら寒いとは言え、手袋4枚ではオーバー手袋の中に収まるわけが無い。テントから出てアイゼンを着ける。
ここで、最後の健康診断。酸素濃度と心拍数を計る。76,107。かなり低くなったが70くらいまでは普通に行動できると言うことでちょっと安心。

4:30、ヘッドランプをつけ、出発。
先頭はクライミング・シェルパのテンリーとミンマール、その後に宮下氏、そして私達4人の参加者、しんがりがアン・パサン。雪が締まっていて歩きやすいがちょっとペースが速い。と、右足のアイゼンが外れてしまった!ワンタッチアイゼンだが今まで1度も外れたことは無い。急いで付け直す。10歩行ったところでまた外れた!どうなっているの!焦る!10歩ごとに3回。仕方なく前の調節を1段階きつくして無理やり締める。

1時間ほど登ったところでロープを出し、コンテにする。このロープ、なんだか工事現場のビニールロープのようで心配になってしまう。少し傾斜が出てきた頃、後が遅れ気味で何度もロープが突っ張る。ここで、最後尾にいたアン・パサンがSEさんとNSさんを下ろすと言う。どうやら、アイゼン歩行の足元が危なっかしく、この先の急斜面と下りには対応できないだろう、と言うことのようだ。これで山頂を目指すのはYOさんと私の2人ということになってしまった。

かなり傾斜が増し、2人のシェルパがロープをフィックスする。
その後を宮下氏、私、YOさんとユマールで登る。私の場合はユマールの代わりにロープマン。オーバー手袋でのセットはなんともやりにくい。ユマール代金をケチるのではなかったと後悔する。
1ピッチ登り、後ろのYOさんを見ると片手にユマールを持ったままで登っている。ユマールをセットしたロープを引いてないのだ。滑ったら40メートルも落ちてしまう。「YOさん、ロープ、引いてーーー!」宮下氏と2人で大声で叫んだ。

ここで、宮下氏、私に先に行くようにと言う。
ところどころクレバスが口をあけた急斜面を登る。斜度、70度くらいか?不思議なことに、もう6000mは越しているはずなのに全く空気の薄さを感じない。間違いなく地上の半分以下になっているはずなのだ。息切れはするが日本の山登りと全く代わりが無い。順応すると言うことはこういうことなのかと変に納得してしまい、がんがん登ってしまった。ところが、これが失敗の元、このツケが山頂直下で廻ってくることになる。

登り始めて5時間弱、小広い丘のようなところに着いた。
左手にマカルーも見えている。ミンマールが言う。「この先はクレバスがあって行けません。ここがパルチャモの山頂です」えぇーっ!そんなバカなー!目の前に100メートルくらい聳え立った真っ白な鋭い峰がある。それなのにこの丘が山頂だと言う。クレバスに近づき覗いてみる。確かにそのあたりは広く口を開けているが左奥は狭いような気がする。宮下氏も納得がいかない様子で左に回りこんでいる。私もついて行く。1箇所跨いで渡れそうなところがある。

宮下氏が手招きするので渡っていった。両脇が切れているのでバランスを崩すと大変なことになる。YOさんにはテンリーがロープをつける。これから先はかなりのナイフリッジなのでコンテにする。このあたりから私のツケが始まった。高山病の兆候が出てムカムカしてきたのだ。どうしてここまで来てー!と思っても仕方が無い。
だんだんと四つん這い状態でしか歩けなくなってきた。“気持ちが悪い!ここまででやめようかなー”と思い始めた頃、宮下氏から「回れ!右!」と言う指示がとんだ。約10メートル上に頂上が見えている。しかし、雪屁がひどく、フィックスして通過しようと言う宮下氏に対し、2人のシェルパが「ノー!」と言うらしい。仕方が無い!15分ほど下ると雪の上にタルチョー(旗)が置いてある。ここを山頂とし、記念撮影をる。

下山後の宮下氏の話では、真の山頂は登ったとしても一人が立つこともできないほど狭かっただろうと言うことだった。下りはフックスロープに8環をセットする。懸垂すると後ろ向きで下りることになり、一段と吐き気がひどくなる。ロープにカラビナをチョイがけして前向きで下りようかと思ったが危ないからとさせてくれない。とにかく早く下りたい!後ろで足がよれてきたYOさんがロープに逆さにぶら下がっている。宮下氏が戻って行く。私が待っているところはちょうど風の通り道で寒くてたまらない。先に下りたいのだがクレバスがあるので待っているようにとのこと。“さむーい!つめたーい!気持ち、わるーい!早くしてよー!”

コルまで下りるとキッチンボーイがジュースとビスケットを持って迎えに来てくれていた。考えてみればスタートから9時間あまり、全く飲まず食わずだった。HCではラーメンの用意をしていてくれた。しかし気持ちの悪い私は臭いを嗅いだだけで吐いてしまった。5,700m以上あるHCに長居は無用!と言うことで、急いでBCに下る。私の場合、気持ちが悪くて20分ごとにしゃがみこんでしまう。後から下ってくるYOさんも足がよれているのでかなり休憩が多い。BCに戻れば高度を1500m下げたことになる。高山病は即、治るもの、と思ったが結局この日は食事もとれず、テントに転がり込んで爆睡した。やはりヒマラヤの6000mは簡単には登らせてくれなかった。4時間後、すっかり体調が戻った私は、夕食を食べなかったことを後悔した。
 


いま、ネパールから戻って3ヶ月が過ぎた。
先日北海道に行った折には、このパルチャモのメンバー全員が集まってくれた。皆はもう、次の目標に向っている。ノマドでもこの秋、新たな6000m峰を計画している。
私の場合は・・・・・
とりあえずは相変わらずの広く浅くの山をつづけ、なんとか体力を維持し・・・、まあ、そのうちには何かが見えてくるだろう!と、のんきに構えている。“さーて、明日はどこへ行こうかなー!”

 

 

 


 

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