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山行報告


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読み物・エッセー : 夢 三 題
投稿者: admin 投稿日時: 2009-9-17 14:47:11 (2549 ヒット)

夢 三 題

C和M樹

夢 一 題  = 至福の時 =
走り始めたのは、2年前だった。55歳を過ぎ、急激で著しい体力の低下を自覚したからだ。
それは、冬山にもう一度行きたい、劔の岩をもう一度登りたいという思いから始めた。皇居の周回歩道を歩くことから
始め、5km、10kmと走行距離を延ばし、タイムの短縮を目指した。

57歳になって、勤務地の変更を余儀なくされたが、時間が取れるようになったため、平日の夜はニューシャトルの高架
下を走り始め、休日は住んでいる町のジョギングロードを走った。
走るモチベーションを維持し高めるため、時々劔の岩場を脳裏に浮かべ、走る距離を少しずつ延ばしてゆき、25km
まで走れるようになった。20km以上走れるようになったら出場しようと以前から決めていたハーフマラソンにエントリ
ーし、出場した。桜が満開の4月上旬であった。

2か月前からトレーニングメニューをきめ走りこんだ。メニューの6割くらいしか消化できなかったが、インターバル走、
ビルドアップ走、ペース走、LSD走の真似ごともした。そして、走りの世界に純粋にのめりこんでいった。そこには、冬
山も、劔の岩場もなく、純粋に走る歓びの世界に浸っている自分を自覚していた。

2時間10分8秒、6分11秒/kmが、初ハーフマラソンのタイムである。走り切った時、トレーニングとしてのランニング
ではなく、走っている時に訪れる至福の時間を体験できる世界が、自分の中に別個の存在として出来上がっていた。
転勤よる幾度かのブランクがありながらも30年間、山を最大の趣味として生活してきたが、もう一つ、山に匹敵するよ
うな、大きな趣味ができてしまった。山の趣とは異なる、山では味わえない異次元の'至福の時'である。

オレンジの灯りで浮き上がった夜の高架下の道路を、夕焼けに染まった空の下に広がる田園のジョギングロードを、
独り黙々と走っている時、私の中を至福の時が流れていく。

夢 二 題 =60歳を目前にして=
私もぶなに入会してから3年半がたった。初めてのマラソン後、純粋に走りの世界に入ってしまおうかと思い、ぶなを
辞めようかと冗談でなく、思い悩んだときがあった。しかし、ぶなの会を辞められない理由があった。
やはり山と係わっていたいとの思いが消し難いのが最大の理由であるが、ぶなの企画山行でいくつかぜひ参加した
いと思っている山行がある。

また、山岳会を辞めると、単独山行の許可が下りないという家庭事情もある。いくつかの山域を歩きまわってみたいと
思っている。山スキーも続けたい。仲間もできたことだし。

でも、60歳を目前にして、根性だけではどうにもならないものがあると自覚しだした。
今年の夏、中だるみがありながらも10年近く通ったエナジークライミングから、常備していたクライミング道具一式を引
き上げた。

エナジークライミングは、日本人で初めて5.13aを登った綿引英俊氏が経営するジムである。
岩登りを辞めようかと思い始めたのは、57歳の冬の頃からか。バランス感覚に今まで感じたことのない違和感を覚え、
冬の間通っても、元のレベルになかなか戻れず、潮時かと考えたのが最大の理由である。
でも、新しい夢を見つけることができた。
これも、ぶなの若い人たちと山行をともにできたおかげだと思っている。いろんな、新鮮な刺激をいただいた。

夢 三 題 =フル、そしてウルトラの世界へ=
60歳まで、あと1年半である。
鍛錬しないと、日々体力・筋力・脚力は落ちてゆく。
一方で、夢見る目標をかなえるためのトレーニングに耐える、気力を支える体力・栄養も必要だ。無理なトレーニング
は、逆効果を招く歳になったとの自覚も出てきた。

今の目標は、59歳でフルマラソンを走り切ること、
そして60歳の還暦記念には、ハセツネ(日本山岳耐久レース)にチャレンジしたいと、思い描いている。
そして、3年くらいの計画で、脚力・体力を養成し、100kmウルトラマラソンを走り切れたらと、正夢を見てみたい。

そこには、どんな現実が待ち受けているのだろうか。
(アキレス腱を痛め、リハビリの09年夏)

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