2006年6/19〜27ヨセミテ国立公園 家族ハイク&キャンプO田6月19日成田発、サンフランシスコ午前11時着。レンタカーにトヨタのワンボックスカー(Siennaという日本では販売されていないタイプ)を借りて市内のホリデーイン泊、ヨセミテに移動は翌日に。数年前のアラスカで時差ぼけ、居眠り運転でバスと正面衝突しそうになった教訓から海外旅行初日の移動は慎むことにしたため、ホテルチェックイン後市内のゴールデンゲートパークで子供を遊ばせながら昼食。その後ゴールデンゲートブリッジを観光。夜はチャイナタウンで夕食。ケーブルカーで出かけようと思ったが往復料金20ドルとあまりに高額なことに驚いた。10数年前は2ドルとか3ドルだったように思うが、ホテルにしても古ぼけた部屋で200ドルもするし、最近のアメリカのインフレぶりには不快な思いがする。6月20日サンフランシスコで食料、クーラーボックスの買出しをしてから580号線、120号線経由でヨセミテ渓谷入りする。前回使った140号線は大規模な土砂崩れのため当面通行止め。8年振りに訪れたヨセミテ渓谷は一見何の変化も無いが、この季節に訪れるのは初めてで、ヨセミテビレッジのビジターセンター手前で一望出来るヨセミテ滝は水量が多くて迫力がある。この夜はキャンプ場の事前予約が出来ていなく、当日キャンセル待ちを期待していたが期待に反して空きは無く、しかたなく国立公園の外に戻ってキャンプをするがこの場所も満杯で諦めてキャンプ場の駐車場に車停めて車の中でごろ寝、夜中に暑さで汗びっしょりになる。6月21日朝一でヨセミテ渓谷に移動し、キャンプ4の順番待ちをする。何とか今夜と明日の夜のキャンプ地は確保出来た。その後予定していた最初のハイクのグレーシャーポイントに登る。標高1200mの渓谷底から登山道を1000m登った絶壁の上の見晴台がグレーシャーポイントで、正面にハーフドームが迫り、渓谷中屈指の景観。渓谷正面のヨセミテ滝は残雪が豊富なため水量が多くて見ごたえがある。グレイシャーポイントからハーフドームを望む6月22日季節外れの猛暑のため予定していたインスピレーションポイントをやめ、ミラーレイクまでのショートハイクにする。ミラーレイクの浅瀬では子供たちが水浴びに夢中になっていて、うちの娘も膝まで浸からせる。水は冷たいが(15度ぐらいか?)慣れれば気持ちの良い冷たさでつい長居をしてしまう。この日の最高気温38度で日本より暑いが湿気が殆ど無いのでそれ程苦にはならない。しかし、朝の気温も18度くらいとあまり下がらないのでテントの中が暑くて寝づらい。この季節にヨセミテ渓谷を訪れるのは初めてだが、資料には6月の平均最低気温8度、最高気温28度とあるので丁度10度ずつ高い事になり、想定外の高温だ。キャンプ場を日本から予約していたアッパーパインキャン場に移動。隣のサイトに30代後半ぐらいのアメリカ人夫婦がキャンプしていて、丁度うちの娘(理沙)と同じ年齢の男の子がいた。その夫婦のお父さんがうちの子供を見かけて声を掛けてくれ、早速理沙が遊びに出かけて行った。まだ2才半なので言葉が通じなくてもぜんぜんお構い無しだ。理沙は向こうのお母さんと子供(Ryanという名前)のオモチャでしっかり遊んで満足して帰ってきた。6月23日二番目の目標をアッパーヨセミテ滝にし、娘を背に標高差800mの滝の落ち口の高台まで上がる。今日も暑い。中間地点でアッパーヨセミテ滝(落差400m)の流芯近くを通り滝からの涼風が心地よい。滝の落ち口周辺は平坦な一枚岩になっていて、理沙がリスを夢中になって追い掛けまわす間、アッパーヨセミテ滝落ち口まで一人ずつ交代で下りてみる。落ち口まで100m程の道は滝の側壁に手すりをつけただけの簡易的なもので足下は500m近く垂直に切れ落ち、セルフビレーが欲しくなるぶっそうな場所でとても子供を背負って行けるような所ではない。帰りの下り道は暑さとつるつるに磨かれた石段に乗ったパウダー状の土のせいで足元が滑り、油断しているとすぐに転びそうになり、このせいでかなりバテてしまった。6月24日キャンプ場を再度キャンプ4に移動。キャンプ4は駐車場がサイト毎に決まっていないので駐車をする度に空き場所取り待ちをする必要があり、車を使う人には不便なキャンプ場だ。が、ここは伝統的にヨセミテに来るクライマーがねぐらにする場所で、他のクライマーと交流するには良い場所だ。この日は午後からはマリポサグローブにセコイアの大木を見に行き、観光日。6月25日この旅行のハイライトのハーフドームに登る。トレイルヘッドに車を置き、朝7時にMist Trail歩き始め、2時間半でリトルヨセミテバレーに至る。途中バーナル滝の通過では滝のしぶきで親子三人ともずぶぬれになり、ひどく寒い思いをした。ことしは雪解け水がまだ収まっておらず、特に滝の水量が多いようで目測毎秒50m3ぐらいの奔流が激しく落下しており、滝から吹きつける強風とその風に乗った夕立のような水しぶきで、登山道の通過ははまさに台風の中を歩いているようで、妻と二人で「ここはMist Trailではなく、Storm Trailだ」と話合う。リトルヨセミテバレーから稜線まではひたすら森の中を登るが暑さと乾燥した空気ですぐにぬれた衣服も乾き、今度は暑くてつらい。途中前を歩いていたアメリカ人の若いカップルが騒いでいるので何かと思ったら「Rattle Snake!」=ガラガラ蛇がいるとのこと。このときは我々には見えかったがこの直後に再度ガラガラ蛇出没で今度はちゃんと見れた。でも小さな蛇ですぐに隠れてしまいあまり迫力がなく、ガラガラもしていなかった。見た目は小ぶりのマムシといったところか。稜線に出たところが森林限界で、地形もハーフドーム独特の一枚岩になり、谷川岳のテールリッジのような丸いスラブ斜面を200m程登って最後のワイヤー梯子のある登り手前のコルに出る。頂上までは100m強。このワイヤー梯子対策として子供の背負子に補助のウエストベルトを付け、さらに子供にチェストハーネスをさせてディジーで固定して登り始めた。 だが三分の一ぐらい登った所でワイヤー梯子の踏み板が抜けている所があり、その抜けた箇所では手はワイヤーを掴んでいるとは言え、足は50度くらいのスラブをフリクションで登ることになる。スラブは磨かれた岩で、磨り減ったジョギングシューズではフリクションが効かず、かと言って掴んでいるワイヤーも油が利いていて滑る。結構緊張して間隔が6〜7m空いている次の踏み板まで登るが、次も、その次も踏み板が抜けていて不安になり立ち止まってしまった。もし下りで足を滑らせた場合ワイヤーを持っている手も滑ってしまうであろうことは容易に想像できた。そうなった場合、当然数百メートル下まで一直線に落下する。足を滑らせなければ大丈夫かも知れないが、最近クライミングもやっていない弱った握力だけでこの長いワイヤー梯子を降りる自信が無くなるにつけこれ以上登り続ける意味が薄れてきて、下を登っている由紀子に下りる旨を告げてワイヤー梯子の基部まで降りる。結果として、ワイヤーハシゴの半分ぐらいまでで敗退。ハイキングで敗退も何も無いかも知れないが、長さ120mのワイヤー梯子を少し舐め過ぎていたようだ。このスラブはワイヤー梯子が無ければ間違いなく5.10後半のクライミングになる。安全を確保する手段が無い中で、子供を背負って登るのはあまりにも危険が大き過ぎ、せめてアプローチシューズ等のフリクションが効く靴を持参すべきだったと少し後悔した。コルまで降りたあと、子供を置いて我々が交代で登ることも考えたが折り悪く雷鳴がとどろき始め、下山をする以外の選択肢は残されていなかった。キャンプ4に帰ったあと、夕食で日本から来た札幌中央労山の鳴海君と白石君の若者2人と会い色々話を聞いたらエルキャピタンのサラテルートを登って下りて来たところだった。詳しく聞くと二人ともビッグウオールだけで無く、フリーも、アイスクライミングも、ミックスクライミングを交えたアルパインルートも同時に精力的に登りこんでおり、伊藤・中川ペアに続く有望な後輩が北海道に育っていることに頼もしく感じられた。6月26日ヨセミテ最終日。朝食のあとでキャンプ4にある有名ルートMidnight Lighting前で理沙を写真に収める。テントを撤収してヨセミテビレッジに行きお土産を買って、ヨセミテ渓谷を後にする。宿泊はサンフランシスコ市内のホテルで夕食は再度チャイナタウン。松井秀樹も来たという海鮮が美味しいというレストランに入ろうとするがクレジットカードが使えないと言われ、現金100ドル程度しか持たない我々はしかたなく別の店に入った。カード大国のアメリカでカードが使えないのは腑に落ちないが現金しか通用しない場所もまだ在る事も頭の隅においておかなけれなならない。それにしてもサンフランシスコに入ると気温が15度位しかなく、暑かったヨセミテとの落差に身震いする。6月27日朝一番に起きてフィッシャーマンズワーフに出かけて食事。あまりに早すぎてまだ殆ど店が開いていなかったのでマクドナルドで食事。フィッシャーマンズワーフは前回(1989年)大きく様変わりしていて、新しいピアーが出来て近代的な店も並んでいる。残念ながら今回は海鮮料理を楽しむことは出来なかったがまた次回に期待してサンフランシスコをあとにした。